ROASが高くても広告を増額してはならない場合:次の予算を増分利益で判断する
- 2 日前
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本記事は、広告管理画面のROASが良好で、予算の増額を検討している小売、EC、メーカー直販、店舗集客型企業等を対象としています。
結論は、現在の平均ROASではなく、追加予算が生む増分売上・増分利益、在庫・人員・資金等の制約、他の投資案との比較がそろった場合に限って増額することです。ROASが高いこと自体は、停止理由にも増額理由にもなりません。
ROASが600%なら、広告費を増やしてよいか
広告費20万円に対して、広告管理画面へ120万円の売上が計上されているとします。
ROAS = 広告へ帰属した売上 ÷ 広告費
したがって、ROASは600%です。社内や委託先から「成果が良いので、広告費を30万円へ増やしましょう」と提案されることがあります。
しかし、この600%から分かるのは、設定された計測方法のもとで、これまでの広告費20万円へ120万円の売上が帰属していることです。次の10万円が利益を増やすかは分かりません。
増額判断には、少なくとも次の三つの問いが残っています。
120万円のうち、広告がなければ発生しなかった売上はいくらか
次の10万円は、最初の20万円と同じ効率で売上を増やすか
増えた売上から原価・配送・値引き・返品・追加作業等を引いて、利益はいくら残るか
既存記事「小売店は、集客広告を増やす前に何を確認すべきか」では、広告投資を限界利益と在庫・人員・資金等の制約から判断する全体像を扱いました。本稿では、その中でも誤判断が生じやすい「ROASが高い広告の増額」に限定し、平均、限界、帰属、増分を分けて判断します。
この記事を読む前に――主要な用語の意味
用語 | 本稿での意味 |
ROAS | 広告費に対して、広告へ帰属した売上等が何倍あったかを示す指標です。 たとえば、「10万円の広告費」で、「売上が60万円」なら「ROAS=600%」と算出する、などのケースがあります。 |
帰属売上 | クリック、閲覧、計測期間等のルールに基づき、広告の成果として管理画面へ計上された売上です。広告がなければ発生しなかった売上と同じではありません。 |
増分売上 | 広告を実施した場合と、実施しなかった場合との差として生じた売上です。広告によって増えた分の売上を指します。 |
平均ROAS | これまで使った広告費全体に対するROASです。過去または現行予算全体の効率を示します。 |
限界ROAS | 次に追加する広告費部分が生む売上を、追加広告費で割った値です。本稿では、単なる帰属売上の差額と、因果的な増分売上の差額を分けます。 |
取引限界利益率 | 売上から、商品原価、決済、値引き、配送、包装、返品等、販売に伴って増える費用を差し引いた割合です。広告費を引く前の利益率として扱います。 |
増分利益 | 広告が追加的に生んだ取引限界利益から、広告費と追加の制作・運用・人員等を差し引いた金額です。 |
ホールドアウト | 比較のため、一部の顧客や地域等へ広告を配信しない状態を意図的に設ける方法です。広告接触群との差から増分効果を推定します。 |
要点は、ROASが「広告へ売上がいくら帰属したか」を表すのに対し、増額判断は「次の広告費が利益をいくら追加するか」を問うことです。両者は同じ問いではありません。
高い平均ROASと、低い限界ROASは両立する
広告は、予算を増やしても常に同じ割合で成果が増えるとは限りません。初期予算では購入可能性の高い人へ接触できても、増額に伴って対象が広がり、同じ人への接触回数が増え、より競争の激しい広告枠を買うことがあります。
Googleのマーケティング・ミックス・モデリング基盤Meridianは、過去支出全体のROIを「歴史的な平均」、mROIを「次の1ドルのリターン」と区別しています。同資料は、高いROIでもmROIが低い場合、当該チャネルが飽和へ近づいている可能性があると説明しています。Meridian「Incremental Outcome, ROI, mROI & Response Curves」
これは、Meridianを導入すれば小規模企業でも正確な限界ROASを計算できる、という意味ではありません。重要なのは、平均値と追加部分の値が異なり得るという判断原則です。
増額前後の差額を見る場合、まず次を分けます。
追加予算部分の帰属ROAS =(増額後の帰属売上-増額前の帰属売上)÷追加広告費
追加予算部分の増分ROAS = 追加予算によって因果的に増えた売上 ÷ 追加広告費
帰属売上の差額は、季節、価格、在庫、競合、自然検索、SNS、催事等の影響を含み得ます。したがって、追加予算部分の帰属ROASも、そのまま因果効果ではありません。
数値例:平均ROAS600%でも、次の10万円で利益が7万円減る
以下は説明用の架空例です。現行予算20万円、広告管理画面上の帰属売上120万円、平均ROAS600%の広告を考えます。
増額案は、広告費を10万円追加し、合計30万円にするものです。比較または検証の結果、追加部分について次が推定されたとします。
項目 | 現行予算全体 | 次の10万円 |
広告費 | 20万円 | 10万円 |
管理画面上の帰属売上 | 120万円 | 25万円増 |
帰属ROAS | 600% | 250% |
広告による増分売上 | 推定困難 | 10万円 |
増分ROAS | 推定困難 | 100% |
取引限界利益率 | 40% | 40% |
増分取引限界利益 | ― | 4万円 |
追加の制作・運用費 | ― | 1万円 |
追加利益 | ― | -7万円 |
追加利益は次のように計算します。
追加利益 = 増分売上10万円 × 取引限界利益率40%-追加広告費10万円-追加制作・運用費1万円
追加利益 = 4万円-10万円-1万円 = -7万円
増額後も、管理画面上の広告全体では145万円÷30万円=約483%のROASが残ります。「ROAS483%の好調な広告」に見えますが、追加した10万円は利益を7万円減らしています。
この例で、追加予算が損益分岐となる増分売上は27.5万円です。
損益分岐増分売上 =(追加広告費10万円+追加制作・運用費1万円)÷取引限界利益率40%
損益分岐増分売上 = 27.5万円
したがって、追加部分に必要な損益分岐増分ROASは275%です。
損益分岐増分ROAS = 27.5万円÷10万円 = 275%
重要なのは、一般的に「ROAS何%なら良い」と決めることではありません。商品構成、限界利益率、広告外費用、確保利益によって、増額分に必要なROASは変わります。
管理画面の帰属売上と、広告による増分売上を分ける
Google広告の公式説明では、目標ROASは広告費1ドル当たりに得たい平均コンバージョン価値として定義されています。例えば、売上5ドルを広告費1ドルで得たい場合、目標ROASは500%です。Google広告ヘルプ「About Target ROAS bidding」
一方、同じGoogle広告のConversion Liftでは、標準の帰属コンバージョンと増分コンバージョンを明確に区別しています。標準値は設定した計測・帰属ルールで数えられますが、増分値は広告接触群と非接触の対照群における全コンバージョンの差として測定されます。Google広告ヘルプ「Understand your Conversion Lift based on users measurement data」
帰属売上には、次が含まれる可能性があります。
広告がなくても購入した顧客
指名検索や既存フォロワー等、既に購入意向が高かった顧客
店舗、催事、口コミ、メール等、別の接点が主因の購入
広告接触後、計測期間内に自然に再購入した既存顧客
他商品・他チャネルから付け替わった売上
値引きによって将来購入を前倒しした売上
帰属売上は、媒体運用、入札、クリエイティブ、導線を比較するために必要です。しかし、広告を実施しなかった世界を直接観測していないため、それだけでは増分効果を確定できません。
Blake、Nosko、TadelisによるeBayの大規模な検索広告停止実験では、特に指名検索広告について、通常の非実験的な測定が広告効果を過大に示していたことが報告されています。一方、非指名広告では新規・低頻度利用者に正の反応が確認されました。これはeBayと検索広告に固有の結果であり、自社広告の増分率へ数値を移植してはなりません。示唆は、顧客状態と広告種別によって、帰属と増分の差が変わり得ることです。
ROASが高くても増額してはならない七つの場合
1.次の予算部分の採算が損益分岐を下回る
現行予算全体が黒字でも、追加部分が赤字なら、増額は全社利益を減らします。平均ROASではなく、増額幅ごとの帰属売上、増分売上、取引限界利益、広告外費用を確認します。
2.広告が自然需要を取り込んでいるだけである
指名検索、既存顧客、自然完売商品等へ成果が偏る場合、ROASは高くなりやすい一方、広告が新しく作った需要は少ない可能性があります。自然検索、直接流入、既存顧客売上、広告停止地域・期間等との関係を確認します。
3.低利益商品・値引き商品へ売上が偏っている
同じ売上100万円でも、取引限界利益率が50%の商品と20%の商品では、広告費へ充てられる金額が異なります。広告増額後に商品構成、値引き、ポイント、返品、配送負担が変わるなら、過去ROASから追加利益を推定できません。
商品・顧客別の広告上限は、先行記事「かかる費用の許容ラインを一律に決めてはいけない。商品別・顧客別に広告費の上限を計算する」で詳しく扱っています。
4.売れ筋在庫・発送・接客が制約になっている
広告単体の増分利益が正でも、欠品、納期遅延、接客品質低下、返品増加、既存顧客の購入不能が生じれば、全社利益は悪化し得ます。特に、広告を出さなくても売れる希少商品へ需要を追加する場合、広告は販売数量ではなく、購入者や販売時期を置き換えるだけかもしれません。
5.利益が出る前に資金が尽きる
広告費、追加仕入れ、外注、人員、包装、配送等の支払いが先行し、売上入金や再購入利益の回収が遅れる場合があります。LTVでは黒字でも、資金繰り上の上限を超えるなら増額できません。
6.計測定義が増額前後で変わっている
帰属期間、コンバージョン値、重複計測、税込・税抜、返品・キャンセル、店舗売上の取込、ビュースルー計測等が変われば、ROASの時系列比較は崩れます。成果が急上昇した場合ほど、広告改善だけでなく計測変更を疑う必要があります。
7.同じ資源の代替用途が広告より優れている
増額部分の追加利益が正でも、商品ページ改善、在庫補充、売場改善、休眠顧客への再接触、催事、卸売開拓等へ同じ10万円・同じ担当者時間を使った方が高い利益を得られるなら、広告増額は最適ではありません。
広告増額の基準は「追加利益がプラス」だけでなく、「制約資源一単位当たりの追加利益が、代替案より高い」ことです。
増分効果をどこまで確認するか
理想的には、広告接触以外の条件が比較可能な配信群と非配信群を作ります。Google広告には、利用条件を満たす場合、顧客単位または地域単位のConversion Liftがあります。地域単位の説明では、広告配信地域と非配信地域のコンバージョン差からリフトを測定し、増分ROASによる予算配分へ利用できるとされています。Google広告ヘルプ「Set up Conversion Lift based on geography」
しかし、小規模企業では十分な地域数、顧客数、予算、購買件数を確保できないことがあります。LewisとRaoの25件の大規模広告実験に関する研究は、購入金額のばらつきに対して広告効果が小さいため、非常に大規模な無作為化実験でもROI推定の幅が広くなり得ることを示しました。
したがって、「実験をすれば正確に分かる」とも、「小規模だから何も測れない」とも言えません。利用可能なデータに応じて、次の順に判断精度を高めます。
水準 | 方法 | 分かること | 主な限界 |
1 | 広告管理画面と受注・POS・会計売上を照合 | 計測漏れ、重複、返品、商品・顧客構成 | 因果効果は分からない |
2 | 広告費、全社売上、商品別利益を週・月単位で比較 | 増額時に全社成果が同方向へ動いたか | 季節、価格、在庫等が混ざる |
3 | 事前に幅と期間を決めた段階増額・減額 | 追加部分の反応と飽和の兆候 | 同時変化があれば因果推定は弱い |
4 | 顧客・地域等のホールドアウト | 広告接触群と非接触群の差 | 母数、漏出、地域差、検出力 |
5 | 複数期間・地域・媒体を用いたモデル | チャネル全体の反応曲線と限界効果 | 長い時系列、変動、専門性、モデル仮定が必要 |
単一店舗で、広告停止前後の売上だけを比べる方法は、季節、曜日、天候、催事、競合、欠品等の影響を受けます。これを実験結果とは呼ばず、方向確認に限定します。
精密な増分率が出ない場合は、判断境界を計算する
増分率を一点で推定できなくても、どの水準で増額判断が反転するかは計算できます。
先ほどの例では、追加広告費10万円、追加制作・運用費1万円、取引限界利益率40%です。追加部分の帰属売上25万円のうち、実際に増分である割合を変えてみます。
帰属売上のうち増分である割合 | 増分売上 | 増分取引限界利益 | 追加利益 |
40% | 10万円 | 4万円 | ▲7万円 |
70% | 17.5万円 | 7万円 | ▲4万円 |
100% | 25万円 | 10万円 | ▲1万円 |
この条件では、帰属売上25万円の全額が増分でも1万円の赤字です。したがって、増額案は増分率の測定以前に不成立であり、追加予算部分の帰属ROAS250%が損益分岐275%を下回る時点で見送れます。
反対に、追加部分の帰属売上が40万円なら、損益分岐となる増分比率は68.75%です。
必要増分比率 = 損益分岐増分売上27.5万円÷帰属売上40万円 = 68.75%
この場合、「増分率が約69%以上なら増額候補、下回るなら見送り」という判断境界が分かります。精密な推定値を作るより、保守的な下限でも判断が変わらないかを確認する方が実務的です。
増額・維持・修正・縮小・停止・保留の条件
判断 | 主な条件 |
増額 | 追加予算部分の増分利益が保守的な仮定でも正、限界増分ROASが損益分岐を上回る、在庫・人員・資金に余力がある、代替投資より有利 |
維持 | 現行予算全体の増分利益は正だが、追加部分の限界効果または制約余力が不明 |
修正 | 高ROASだが既存顧客、低利益商品、指名需要、値引き商品へ偏る。配信対象、商品、導線、計測、入札価値を変更できる |
縮小 | 現行予算の初期部分は利益を生むが、後半の予算帯が損益分岐を下回る。減額して高効率帯だけを残せる |
停止 | 広告全体の増分利益が負、自然需要の置換が大きい、改善後も損益分岐を超えない、計測の正当性を確認できない |
保留 | 季節・欠品・価格改定等が重なり、追加効果を識別できない。暫定上限、必要データ、再判断日を定めて維持または限定運用する |
「ROASが高いから増額」と「因果効果が証明できないから停止」は、どちらも粗雑です。証拠が弱い場合は、大幅増額ではなく、損失上限を定めた段階増額または現状維持にします。
Google広告も、コンバージョン価値・件数を増やすために目標ROASを下げると、より競争的な入札となり、量と価値が増え得ると説明しています。これは、効率と規模にトレードオフがあることを意味します。Google広告ヘルプ「Tips on measuring Smart Bidding performance」 ただし、媒体上の価値最大化と、自社の増分利益最大化は同じではありません。入力するコンバージョン価値と利益、顧客、増分性の定義を自社側で整える必要があります。
最低限必要な「広告増額判定表」
項目 | 記録内容 |
判断対象 | 媒体、キャンペーン、商品、顧客、地域、期間、増額幅 |
現行平均 | 広告費、帰属売上、平均ROAS、CPA |
追加部分 | 追加広告費、追加帰属売上、限界帰属ROAS |
増分性 | ホールドアウト結果、比較結果、または低位・基準・高位の増分率 |
利益 | 商品別取引限界利益率、追加制作・運用・人員費、増分利益 |
損益分岐 | 損益分岐増分売上、損益分岐増分ROAS、必要増分比率 |
制約 | 在庫、仕入、製造、発送、接客、売場、資金、品質 |
代替案 | Web改善、商品改善、在庫補充、既存顧客施策、他媒体等 |
不確実性 | 標本数、観測期間、季節、欠品、計測変更、同時施策 |
判断 | 増額、維持、修正、縮小、停止、保留 |
実行条件 | 増額幅、損失上限、担当、期間、再判断日 |
予算を一度に倍増させる必要はありません。例えば20万円から25万円、30万円と段階を分け、各段階で追加部分の帰属売上、全社売上、商品構成、限界利益、制約発生を確認します。ただし、少額かつ短期間の変動は偶然の影響を強く受けるため、購買周期とコンバージョン遅延を踏まえて判定期間を置きます。
結論:高いROASは、増額審査の入口にすぎない
ROASは、広告の運用状況を把握するために必要です。しかし、売上を分子とするROASには、商品原価も、広告外費用も、自然需要の置換も、在庫・人員・資金の制約も含まれません。
広告を増額する条件は、次のように整理できます。
次の予算部分が生む増分売上を、帰属売上と分けている
増分売上から取引限界利益と追加費用を計算している
保守的な仮定でも、追加利益が必要水準を上回る
在庫、人員、資金、品質等の制約を悪化させない
同じ資金・時間を使う代替案より期待追加利益が高い
増額幅、損失上限、検証期間、再判断日を事前に決めている
最も危険なのは、ROASが低い広告だけではありません。
高いROASによって、追加投資の採算確認を省略することです。
株式会社Kerzeでは、広告管理画面、受注・POS、商品別粗利、顧客、在庫、店舗・EC・催事等のデータを接続し、平均ROAS、追加予算の限界採算、増分率の感度分析、損益分岐、制約条件を整理します。現在のデータで因果効果を断定できない場合は、推測で埋めず、判断境界、限定的な検証方法、増額・維持・縮小・停止条件まで設計します。
参考文献・出典
Google広告ヘルプ「About Target ROAS bidding」
Google広告ヘルプ「Understand your Conversion Lift based on users measurement data」
Google広告ヘルプ「Set up Conversion Lift based on geography」
Google広告ヘルプ「Tips on measuring Smart Bidding performance」
Google Meridian「Incremental Outcome, ROI, mROI & Response Curves」
Google Meridian「Media saturation and lagging」
Blake, T., Nosko, C. & Tadelis, S. (2015), Consumer Heterogeneity and Paid Search Effectiveness: A Large-Scale Field Experiment, Econometrica, 83(1), 155–174.
Lewis, R. A. & Rao, J. M. (2015), The Unfavorable Economics of Measuring the Returns to Advertising, The Quarterly Journal of Economics, 130(4), 1941–1973.
Lewis, R. A. & Reiley, D. H. (2014), Online Ads and Offline Sales: Measuring the Effect of Retail Advertising via a Controlled Experiment on Yahoo!, Quantitative Marketing and Economics, 12, 235–266.
※本稿の数値例、増分率、利益率、損益分岐値は説明用の仮想例です。個別企業の広告採算は、商品・顧客構成、広告の増分性、費用、在庫・人員・資金、計測方法等によって異なります。



