令和8年版観光白書から読む宿泊業の人手不足:採用強化だけでは解けない理由
更新日:9月20日
白書で興味深いのは、人手不足を採用人数だけの問題として扱っていないことです。生産性を高め、繁閑差へ対応し、その成果を賃金や待遇へ戻し、人材確保と定着につなげる。人手不足を一つの循環として見ています。
ただし、白書に掲載された全国値や個別事例を、そのまま自地域へ移せるわけではありません。制度上の義務でもありません。
ここでは、白書の内容を紹介するだけでなく、自地域では人手不足のどこが詰まっているのかへ戻して読みます。
人手不足を、採用数だけで見ていないか
特に確認する価値が高いのは、次のような状況にある組織です。
地域の宿泊事業者から、人手不足や採用難の声が継続して上がっている
採用支援、外国人材、DX、省力化、共同研修等のどれを優先すべきか判断できていない
閑散期対策や誘客施策を進めているが、繁忙期の受入能力が不足している
補助事業でツールを導入したものの、収益や業務負荷の改善を確認できていない
観光振興計画やDMO戦略で、人材・生産性に関する指標を検討している
一方、白書が公表されたという理由だけで、直ちに新しいDX、人材シェア、研修制度を導入する必要はありません。まず、自地域で何が不足し、何が成果を制約しているかを確認することが先になります。
まず、白書が何を示す資料なのか
観光白書は、観光立国推進基本法第8条に基づき、政府が毎年国会へ報告する文書です。令和8年版は、観光の動向、令和7年度に講じた施策、令和8年度に講じようとする施策の3部で構成されています。
したがって、白書は法令上の義務、DMO登録要件、補助事業の公募要領ではありません。白書に掲載された施策や事例を、すべての自治体・DMOが実施しなければならないわけではありません。
その上位にあるのが、2026年3月27日に閣議決定された第5次観光立国推進基本計画です。同計画は2026年度から2030年度までを対象とし、「観光地・観光産業の強靱化」を政策の柱の一つに置いています。
基本計画の概要では、宿泊業が創出した付加価値額について、2024年度の4.3兆円から2030年に6.8兆円とする目標が新設されました。さらに、付加価値の増加が従業員へ還元されているかを確認する観点から、宿泊業の平均賃金の推移も注視するとしています。
ここでの着眼点は、宿泊者数や稼働率だけでなく、事業がどれだけの付加価値を生み、その成果が賃金、再投資、高付加価値なサービスへ循環しているかを政策上の確認対象としたことです。令和8年版観光白書の人材・生産性特集は、この考え方を具体的な統計と事例で説明する位置にあります。
白書は、宿泊業の何を問題としているのか
令和8年版観光白書の概要版によると、2025年12月から2026年1月にかけて実施した宿泊施設アンケートでは、回答した522施設の72.2%が「人手不足の状況にある」と回答しました。規模別では、小規模施設66.0%、中規模施設77.1%、大規模施設69.9%です(概要版9頁)。
この数値は、観光庁が実施したアンケートの回答施設における結果です。全国の全宿泊施設を対象とした悉皆調査ではないため、「全国の宿泊施設の72.2%が人手不足である」と一般化したり、自地域の推計値として使用したりすることは避ける必要があります。
それでも、他の公的統計を組み合わせた白書の整理からは、少なくとも次の課題構造が読み取れます。
1.賃金と休日だけの問題ではない
白書は、宿泊業の賃金が全産業より低く、年間休日日数も少ない傾向を示しています。2025年の年間賃金総支給額は、全産業546万円に対し、宿泊業413万円とされています。
ただし、この賃金は、企業規模合計(常用労働者10人以上・民営)における一般労働者について、「きまって支給する現金給与額×12+年間賞与その他特別給与額」で算出した値です。パートタイム労働者を含む全就業者の平均ではありません(概要版9頁)。
同時に、白書は、労働生産性、有形設備への投資、ソフトウェア等の無形投資、研修の実施にも課題があると整理しています。2024年度の一人当たり付加価値額でみた労働生産性は、全産業817万円に対し宿泊業587万円で、全産業の72%に相当します(概要版11頁)。
ここからは編集上の整理です。賃金だけを単独で引き上げようとしても、継続的に原資を確保できなければ持続しません。反対に、生産性向上を人員削減だけに還元し、賃金や休暇へ還元しなければ、採用・定着の改善にはつながりにくいと考えられます。
2.人手不足は既存従業員と供給能力に波及する
人手不足の状況にある施設を対象とした白書のアンケートでは、79.3%が「特定の時期・時間帯(繁忙期)に人員が不足し、既存従業員の負担が増加している」と回答しています。また、40.6%はサービスの一部縮小、21.5%は人員不足を理由とした事業拡大の断念を挙げています(概要版12頁)。
人手不足は、単に求人が充足しない状態ではありません。既存従業員の負担、提供できる客室・サービス、売上機会、顧客体験、教育時間まで連鎖して制約する可能性があります。
地域が誘客を強化しても、繁忙期の供給能力が上限に達していれば、追加需要は売上増ではなく、従業員負荷やサービス品質の低下として表れる場合があります。誘客側と受入側を分けて考えないことが重要です。
3.繁閑差が雇用と業務設計を難しくする
宿泊業では、季節、曜日、時間帯によって必要人員が変わります。白書は、業務量の増減調整を必要とする割合が高く、非正規雇用の割合も全産業より高いことを示しています。2025年の役員を除く雇用者に占める非正規雇用の割合は、全産業36.5%に対し宿泊業54.7%です(概要版10頁)。
ただし、この比率は雇用形態の構成を示すものであり、それ自体が人手不足の原因であることを証明するものではありません。
年間の採用人数だけを増やしても、必要な時期・職種・技能と一致しなければ不足は解消しません。確認すべきなのは、いつ、どの業務に、どの程度の技能を持つ人材が不足しているかです。
採用だけではなく、収益・生産性・待遇の循環を見る
白書は、人手不足への対応について、有形・無形の投資や人材育成を通じて収益性・生産性を高め、繁閑差への対応力を強化し、その成果を賃金や待遇の改善につなげることが重要だと整理しています(概要版13頁)。
以下は、白書の記載を実務上の検討順序として整理したものです。
不要・重複業務の見直し、設備・ソフトウェア投資、研修を行う
同じ労働時間で提供できる価値や処理量を高める
価格、商品構成、稼働日、販売方法を見直し、付加価値と利益を確保する
生まれた余力を賃金、休暇、教育、職場環境、再投資へ配分する
採用可能性と定着率を高め、サービス供給能力を維持・向上する
この循環のどこが詰まっているかによって、必要な施策は変わります。
業務量の偏りが主因であれば、需要平準化やシフト設計、外注、人材シェアが候補になります。低単価・低収益が主因であれば、採用広報より先に、価格、商品、販売チャネル、稼働日を見直す必要があるかもしれません。教育時間が確保できないのであれば、研修回数を増やすだけではなく、業務を止められる時間と代替要員を設計する必要があります。
DXや生成AIも、この循環のどこを改善するのかが明確でなければ、導入件数だけが増える結果になり得ます。
事例は参考になるが、因果効果まで証明するわけではない
白書は、複数の取組事例を紹介しています。以下の数値と成果記述は、いずれも観光白書概要版14~15頁に掲載されたものです。
愛知県蒲郡市のホテル末広では、財務データと曜日別稼働率を分析し、週3日の固定休館日制、客室・食事の高付加価値化、従業員のマルチタスク化と手当を組み合わせています。白書には、営業日の縮小により売上は従前の約3分の2となった一方、「利益率は15%増加」し、働きやすさの改善と若手人材の安定的な入社につながったと記載されています。
ただし、概要版は「15%増加」が相対的な増加率か15パーセントポイントの上昇かを示しておらず、絶対額としての利益が増えたかも記載していません。この事例から読み取れるのは、売上の最大化だけで経営成果を判断していない点です。他の施設も週3日休館すれば同じ成果が得られることを証明したものではありません。需要の曜日分布、固定費、価格改定余地、施設規模等の条件を確認する必要があります。
静岡県熱海市の事例では、生成AIを市場分析、問い合わせ内容の傾向把握、多言語発信等に活用し、白書上ではデータ分析にかかる業務量を約15分の1、問い合わせ内容の傾向把握を約4分の1に削減したとされています。
ここで重要なのは、生成AIの導入自体ではなく、どのデータを、どの判断に使うため、どの工程で処理したかです。分析時間が短縮されても、施策判断や地域事業者の商品改善へ接続されなければ、地域全体の成果にはなりません。
奈良県ビジターズビューローの事例では、地域間の繁閑差を利用した宿泊施設間の人材シェアを実証しています。即戦力確保や人材育成の効果が示される一方、白書自身が、需給マッチング機能と安定的な収益構造を今後の課題として挙げています。
黒川温泉観光旅館協同組合の事例では、自主財源を用いた合同入社式、合同研修、若手リーダー育成等を継続し、地域単位で人材が留まる仕組みを整えています。単独事業者の採用活動ではなく、地域におけるキャリア形成と財源の継続性まで含めた点が特徴です。
これらの事例は、固定休館、生成AI、人材シェア、共同研修の優劣を決めるものではありません。人手不足の原因に応じて、事業者単位で解く課題と地域単位で共同化する課題を分ける材料として読むべきです。
地域側で、どこまで介入すべきか
白書は、自治体やDMOに特定の施策を義務付けていません。その上で、地域の観光政策や支援事業を設計する際には、少なくとも次の順序で確認する余地があります。
1.「人が足りない」を分解する
「人が足りない」という表現だけでは施策を選べません。
年間を通じた不足か、繁忙期だけか
一日の特定時間帯だけか
清掃、調理、接客、販売、管理等のどの業務か
人数が足りないのか、必要技能を持つ人が足りないのか
採用できないのか、採用後に定着しないのか
人員不足なのか、廃止・簡素化できる業務が残っているのか
この分解がなければ、採用、研修、DX、外注、人材シェアのどれを選んでも、課題との対応関係が曖昧になります。
2.誘客を増やす前に、供給能力を確認する
自治体・DMO・観光協会は、来訪者数、延べ宿泊者数、消費額、満足度等を追うことが多い一方、地域側がどれだけの需要を受け止められるかは別の問題です。
繁忙期に既に供給能力が不足しているのであれば、追加誘客より、閑散期・平日への需要移動、滞在時間や消費単価の向上、予約・在庫の最適化を優先する方が合理的な場合があります。
3.DXや研修の件数ではなく、何が変わったかを見る
DXツール導入施設数、研修参加者数、求人掲載数は活動量を示しますが、それだけでは成果を判断できません。
施策に応じて、例えば次のような変化を確認する必要があります。
従業員一人当たり・一時間当たりの付加価値や売上
残業時間、休日取得、教育時間
採用充足までの期間、定着、離職
繁忙期に販売できなかった客室・サービス
価格、稼働率、利益率の組合せ
サービス縮小、顧客満足、苦情の変化
どの指標を採用できるかは、データ取得可能性や事業者負担を踏まえて決める必要があります。すべてを一律に収集する必要はありません。
4.共同化する仕事と、事業者ごとに残す仕事を分ける
採用条件、賃金、配置、評価は各事業者が判断する領域です。一方、共同研修、地域の仕事情報、繁閑差データ、外部専門家、事業者間の人材交流、需要平準化等は、地域単位で扱う余地があります。
DMOや観光協会が担うべきなのは、すべての実務を引き取ることではありません。共同化による便益が単独実施の調整コストを上回る領域を選び、誰が費用を負担し、どの条件で継続するかを決めることです。
白書が出たから、新施策を始める必要はない
第一に、白書は「生成AIを導入すべき」と一律に求めていません。白書が示すのは選択肢と事例であり、目的、データ、費用、運用能力が不足する地域まで導入する必要はありません。
第二に、人手不足だからといって、ただちに誘客を抑制すべきとも限りません。閑散期の需要不足と繁忙期の人手不足が併存する地域もあります。時期、場所、職種を分けて判断する必要があります。
第三に、稼働率を最大化することが常に望ましいわけではありません。白書の事例は、営業日や売上の最大化とは異なる判断軸を置く余地を示しています。ただし、個別事例だけから、固定休館が利益や労働環境を一般に改善すると結論付けることはできません。
白書だけでは、自地域のボトルネックは決まらない
白書は全体像を把握する上で有用ですが、個別地域の施策を決定するには情報が足りません。
各事例の導入・運営費用
施策を実施しなかった場合との比較
効果が継続する期間
小規模施設へ適用できる条件
人材シェアを恒常化する事業モデル
地域別・職種別の不足状況
したがって、白書を根拠に施策を直接決定するのではなく、自地域の仮説を立て、必要最小限のデータを確認し、小さく試して継続・変更・終了を判断することが適切です。
地域で何を優先するか
状態 | 次の判断 |
地域でも人手不足と生産性課題が確認できる | 採用・業務改善・投資等の選択肢を比較する |
全国傾向は当てはまるが、地域データが不足している | 地域の需給・稼働・賃金等を追加確認する |
採用数だけをKPIにしている | 生産性・定着・待遇・繁閑対応まで評価範囲を広げる |
DX導入件数や研修回数を成果としている | 実際の時間削減・収益性・定着等を確認する |
白書の事例をそのまま地域へ移植しようとしている | 自地域の制約条件との適合を先に検証する |
採用施策ではなく、最初のボトルネックを一つ決める
自地域の人手不足を、採用・定着・繁閑差・業務設計・生産性・待遇のどこから確認するかを一つ決めてください。
人手不足は、供給能力の問題として見る
令和8年版観光白書は、宿泊業の人手不足を、採用だけで解決する問題として扱っていません。
付加価値と生産性を高め、その成果を待遇と再投資へつなぎ、人材確保とサービス供給能力を支える循環を構築することが、政策上の基本的な方向として示されています。
自治体やDMOに必要なのは、白書の事例を模倣することではありません。自地域の不足を時期・職種・原因に分け、誘客と供給能力をつなぎ、地域で共同化する領域と事業者ごとに判断する領域を分けることです。
その上で、採用、DX、研修、人材シェア、需要平準化の中から、実際の制約に対応するものだけを選ぶ方がよいでしょう。
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原資料・関連資料
最終確認日:2026年7月14日
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